
昭和の時代にこのように偉大な哲学者がいたとは知らなかった。西郷隆盛の横で話題にされない鉄舟のように、石原莞爾や佐藤栄作の横で話題にされない人物のようだが、佐藤栄作と高校の同期で中小路が首席で佐藤が次点だったとのこと。戦前から戦中、そして戦後すぐのころ仲小路は独自の世界観、日本を中心としたグローバリズム=「未来文明創造の原型としての日本文明」に基づいた国の在り方、戦争の進め方、終戦後の始末の仕方、連合国との対応の仕方などを政治家や軍幹部に物申していたが相手にされず、富士山のふもとで隠遁生活をするようになったという。グローバリズムと聞くとイギリスから始まり現在全世界の国々で起こっている移民問題やボーダーレス、世界は一つ、ビルダーバーグ会議、国連等など様々なものを想像するのだが、仲小路のそれは全く違うグローバリズムである。
「古代ローマ帝国は文明的には空虚な文明で、技術的、軍事的には優れていましたが、精神的には全く貧困で、その世界帝国を精神的に秩序づける理念は皆無でした。そのためにローマ帝国の世界理念は、帝国の属領にすぎなかったユダヤの地に生まれたキリスト教に改宗したのです。(中略)キリスト教が古代ローマ帝国の精神的な世界理念となったように、グローバリズム思想は人類文明の未来に輝く光であります。」(Pー192)
アメリカ発のグローバリゼイションは、アジア太平洋諸国の「近代化」にとってひとつの有効な方法、手段を与えていますが、その目標、文明史的目的については沈黙したままなのであります。(Pー290)
「花は美しい」と言われます。 しかし、「花」という言葉は抽象名詞であって、世には「花」などというものは存在しないのです。花はそれぞれユリ、バラ、スミレ、桜、梅、蘭、牡丹などとして咲きます。ユリはユリとして咲き、バラはバラとして咲き、桜は桜として咲き、梅は梅として咲くことで「花は美しい」と言われるのです。西洋キリスト教文明のユリやバラは確かに美しいです。けれど、世界の花園のとりどりの花をすべてむしり取ってしまって、ユリとバラだけにしてしまうのはあまりに乱暴です。世界の花園にはとりどりの花々が繚乱と咲き乱れていなければならないのであります。ところが、アメリカ発のグローバリゼーションは世界の花園を欧米産のユリとバラだけに平板な単色にしてしまおうとする乱暴な試みなのです。(p-291)この部分を読み、確かにそうだなと感銘を受けた。地球文明となりうるのは、精神面、文化面で異国のものを尊重し、それらの存在を否定しない、深遠な日本文明なのではないだろうのか。(2026年8月)


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