『世紀の遺書 祖国よ栄あれ』巣鴨遺書編纂会

『巣鴨プリズンBC級戦犯者の記録』に続いて読んだ。こちらには巣鴨プリズンで処刑された軍人のほか、中国、蘭印、ビルマ、マレー、香港、濠州、仏印、比島の各地で処刑された、x百人余りの遺書や書簡がおよそ1000通収められている。各地で処刑を待つ2、3年の間に認められた、妻子や親兄弟に向けた手紙や遺書には涙なしには読めないものがある。20代後半から40代の人々のものが多かったが、そのような年齢でこのような文章が書けることについては驚かざるを得ない。今の自分にあのような文書を書くことは到底できない。人生について、生きることについて、戦争に行くことについて自分や身の回りの事柄について深く考え続けない限り書ないような内容が多かった。

教誨師によって書かれた先述の書籍と違い、全てが手紙、遺書で構成されているので、各地の牢獄の様子はそれらから読み取ることしかできなかった。巣鴨では絞首刑だったのが、蘭印では銃殺刑であった。巣鴨でも同様だが蘭印においても、死刑になるはずもない軍人が罪を着せられたことが良く分かった。軍医や憲兵なども含まれてた。オランダが、一度負けた復讐のために片っ端から捕虜を死刑にしたと言っても過言ではなかろう。捕虜になれば自決を、と決めていたが、裁判で共に戦ったインドネシア人や部下たちの無実を弁明してやらねばと思い止まったことや、オランダの軍医が捕虜をぞんざいに扱ったり医薬品を捕虜に使わず自宅に大量に持ち帰ったことなど、いろいろなことが書かれていた。

今の日本がこれらの人々のおかげで存在していることを決して忘れてはならない。とりわけ多くの遺書に、この不合理について、「後世の批判に待つ」とあるのだから。(2026年9月)

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