『続・大東亜戦争肯定論』林房雄

昭和40年発刊の書籍。前編に続く、第9章から第20章プラス終章で構成されている。著者は3年近くかかってこの書を完成させた。私は4月から前篇を読み始め、今回夏季休業を挟んでやっと読み終えることが出来た。大変濃い内容で、戦前から戦後の状況を客観的に見た著者が、独自の意見、考えを基に、時系列に沿って筆を進めている。第9章では、日露戦争後に米国で発生した「日米必戦論」について述べられ、日露戦争に勝利した日本を米国、そして欧米が如何に警戒し始めていたかが述べられている。日本にはその意志は毛頭なかったが、相手は準備を始めていたという驚くべき、しかし納得のいく事実の一つである。

戦前戦後について、教科書には出てこないし最近の歴史書でもお目にかかれないような、要するに昭和40年頃の書物のため活字や文体で読みにくいのは事実であるが、この時代の文献を読むのは初体験の自分としては、新鮮でかつ内容の深さが大変良い学習になった。明治維新前後に活躍した人物、西郷隆盛、大久保利通、吉田松陰その他大勢に影響を与えた佐藤信淵という人物の思想と生涯について、5.15事件、2.26事件で軍部に影響を与えた北一輝、大川周明の考え方・生き方について、石原莞爾、板垣征四郎に指導された関東軍の「独走」について等など、興味深くかつ記憶すべき箇所が多々あったので、以下に重要なものを羅列し、いくつか引用も含めて書きとどめておく。

満州国建国に関して、日本側でも満人側でも南京政府内でも賛否両論があったこと、石原莞爾の『東亜連盟』、佐藤信淵の『宇内混合秘策』、橋本佐内の『日露同盟論』、吉田松陰の『東亜計略案』、島津斉彬の『大陸出撃策』、勝海舟の『日鮮支合縦論』、竹山道雄の『昭和の精神史』、田中正明の『パール博士の日本無罪論』”日本は世界に顔向けのできない侵略戦争をやった張本人である”という罪の意識を頭の中に叩き込まれている間は、真の日本の隆興はあり得ない(p-328)、英米は中立を守らず公然と蒋介石政権を援助したこと、英米併せて2千名以上の軍人が中国軍と共に日本軍と戦ったこと、米空軍が軍事物資を重慶に空輸し始めたことなど、これらは明らかに戦争行為である、とパール博士が東京裁判で主張したこと、阪急を起こした実業家、小林一三が商工大臣として蘭印へ出向き石油に関して交渉した(p-333)こと。いつかは上記の本、人物について調べてみたいと思っている。

清朝の悪政と欧米の植民地主義からの脱出と打倒は孫文以来のシナ・ナショナリスト革命家の念願であり、その故に中国の革命家たちが日本の奮闘に好意と信頼を寄せた一時期は確かにあったが、「満州国建国」と日本軍の中国本土侵入はこの信頼の最後の根を刈り取った形になってしまった。孫文の弟子である蒋介石も毛沢東も、アジアの究極の仇敵が西洋列強の植民地主義であることはもちろん知っていたが、「聖戦」と称して武力侵入を強行して来た日本軍に対しては敢然と抗戦するよりほかはない。すべて戦争においては、眼前の侵入軍が敵である。(p-273)

「東亜百年戦争」は終始東亜解放戦争であったが、その終末において欧米列強の術中におちいり、「日中戦争」の泥沼に誘い込まれ、敗戦を招いたとみるのが正当な解釈である。(p-274)

このとき、中国貿易の中継基地として日本が求められ(捕鯨の中継基地ではなかったのか⁈)、ぺルリの来航となり、1954年の日米和親条約における「薪水食料石炭欠乏の品」を提供することになったことを日本人は記憶すべきであろう。(p-442)

まず孫文が離反し、ガンジーが反発した。孫文はアメリカとソ連におもむき、ガンジーは「日本の上に翻っているのはイギリスの旗だ」と叫んだ。満州建国は「王道楽土」の標語のもとに行われたが、この事変が関東軍の謀略によって開始されたことは、だれよりもまず張学良が知り、蒋介石が知っていた。(p-449)

最後に、第20章で著者が「息子の「世代」の期待できる評論家」として西尾幹二と江藤淳を挙げているのは興味深い。両名とも自殺により他界しているのであるが。

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