
本書の副題は「禁書『国体の本義』を読み解く」。昭和12年(1937年)に文部省が発行した『国体の本義』は、国民強化のために出版された。本書にはその全文が、著者の説明・解釈と意見を追加する形で紹介されている。本書に引用されている部分は抜粋部分だと思っていたが、そうではないらしい。とすると、全部で156ページの刊行物だがサイズの小さい手に取りやすいものだったと思われる。緒言に始まり結語で終わるまで、「第1、代日本国体」と第2「国史に於ける国体の顕現」の2章にそれぞれ、肇国、聖徳、臣節、和と「まこと」の4つと、国史を一貫する精神、国土と国民生活、国民性、祭祀と道徳、国民文化、政治・経済・文化の6つの章に分かれている。広辞苑では「記紀神話に基づき国体の尊厳、天皇への絶対服従を説き、社会主義・共産主義・民主主義・個人主義・自由主義を排撃」という説明があるそうだが、著者は「天皇への絶対服従」は不当要約だと述べている。
著者は、南朝の忠臣北畠親房が『神皇正統記』の中で喝破した「大日本は神国なり」という文を何度も繰り返し出しながら、『国体の本義』を日本人が読み内容を理解することが以下に大事であるかを主張している。第2の「国民文化」の章で、「教育は自分や家族のためにするのではなく、世のため人のために行うものである。」とあったのに心を打たれた。「戦勝国、特に日本研究に力を入れた米国と英国は、日本を精神的に武装解除する必要を感じた。そのためには、日本人から国体に対する信念のみならず、国体に関する観念自体を除去しようとしたのだ。それだから、『国体の本義』はGHQ(占領軍総司令部)によって、焚書にされ、国体に関する研究も不可能になったのである。」(p−288)
また、「西洋とは、ギリシア思想とキリスト教が総合してできた文化体系なのである。-中略-個人主義、自由主義、合理主義の三精神は、ギリシア思想とキリスト教を母体とする文化から生まれたのである。そして、このような文化を基本にする世界を構築した。欧米人はこの世界を普遍的であると考える。欧米(西洋)にあこがれ、自国に近代化をもたらそうと献身する愛国者も、欧米諸国の帝国主義に対して批判的であっても、近代世界は普遍的であると考える。これは過ちだ。欧米人がつくり出した近代世界は部分的な世界に過ぎない。歴史も世界も複数存在するのである。」(p−329)を読んで、自分のこれまでの長い生き方、考え方が西洋的に流されていたことを反省した。日本文化を主張して何が悪いのか。日本人として、胸を張って、日本人の考え方を言えばいいではないか。日本人としての正義を、道徳を貫けばよいではないか。男女平等、役割分担。西洋と違っていてよいではないか。無理に西洋に合わせる必要なんてない。
「肝要なのは、個人主義的世界観の起源と限界について追及することだ。なぜ、個人主義が日本人と馴染まないのかについて考えるうちに、われわれの思考の根底に流れる神話を再発見することになる。神話なくして、国体は存立しえない。国体は見えない形で存在している。この見えない世界を、われわれは神々より与えられた神話により知ることができるのである。」(p-342)そうだ、こどもたちに神話を教えよう。社会の教科書に出てこない、日本の神代の物語を。


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