『山岡鉄舟の武士道』勝部真長編

鉄舟の本を読むのはこれで4冊目だが、この書では主に彼の武士道に関する思想が述べられ、禅についてはほとんど述べられていない。彼の自宅にやってきた人々、政治家、弟子、友人などに対して彼自身が語ったことを書き留めたものと、勝海舟が鉄舟について語った語録、そして編者の論説からなっている。海舟の語る鉄舟像は大変面白い。菅原道真や和気清麻呂、楠木正成について語った鉄舟の説明を読むと彼の説明する武士道がどのようなものかがよく分かった。鉄舟が福沢諭吉を嫌った理由は、福澤に神を敬うという精神が欠如していたから、という。福沢諭吉的型子どもが増えるのを懸念したそうだが、まさに現代の日本人はこの懸念通り、信仰心が希薄に育っている。アメリカ人が一般的に信仰心があるのと真逆である。

新渡戸稲造が『武士道』を執筆する前に武士道を語っているので、新渡戸は鉄舟の「武士道」を参考にしていたのかもしれない。西郷隆盛との征韓論についての相談、『代表的日本人』で取り上げられた中江藤樹の話も面白かった。西郷は朝鮮に攻め入るつもりはなかったと述べられている。明治以降の教育についての論者の意見にも考えさせられるところが多かった。日清・日露を戦った軍人と大東亜戦争を戦った軍人の比較を行い、明治以降の(軍人)教育に原因があるようだと述べる。古典(漢文)をおろそかにした教育、西洋の科学技術は取り入れたが哲学に重きを置かなかった教育が原因ではないかと言う。哲学がないー美意識がない、という意見は『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』で言及されたことに酷似していて興味深かった。伊藤博文は造園の素養があり、京都の南禅寺の近くにある「無隣庵」を造園したとのこと。造園は生きた草木を扱うため、造園時のみならず、5年後、10年後にどのように変化して行くかを予測して行わねばならず、大変な才能が要るとともに、ひとりではできないために人を使う「棟梁」の能力もなくてはならず、大東亜戦争の軍人はじめ、明治以降の教育では培われていないという。編者は「棟梁」としての人物に、大山元帥を例に挙げている。金科玉条主義で凝りかたまった考え方、臨機応変な対応ができない教育、など、明治38年以降の教育をこき下ろしている。 

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