
本書は、「作戦の神様」と噂され、関東軍が大敗したと言われるノモンハン事件(事実は逆)、マレー作戦、ビルマ作戦などを指揮した大本営参謀で、かつ昭和27年から連続4回衆議院に当選した著者が、終戦直後に連合国支配下のタイを脱出し、日中連携を企画して数年間東南アジアや中国大陸を潜行した時に書き続けた記録である。潜行中、僧侶、中国人、大学教授などに化けながら危機を乗り切り、どんなことを考えたか、どのようにして重慶に向かったか、どのような人々と接したか等、その間に起こった出来事が詳細に記録されている。その後南京へ移動して国民党の配下に属し、持てる知識と経験を幹部に伝え、何とか毛沢東率いる共産党に勝ちたいという強い想いを持っていたが、国民党軍のトップを除いた幹部以下の、余りにひどい怠惰と腐敗により、国民軍が長くはもたないと落胆し帰国するまでの記録となっている。
南京の街の様子、住人の生活、著者が過ごした場所と生活を共にした人々の様子、戦犯裁判によって銃殺された日本軍人について、共産党軍と戦う幹部とのやり取り、思いがけず出会う日本人との情報交換など、当時の状況を詳しく知ることが出来た。南京大虐殺のデマについての記述はなかったが、日本軍による100人切りが大嘘であることは書かれていた。中国人が日本人を目の敵にしていたこと、日本軍が中国人に対して悪いことをしたともあった。何をしたのか、なぜそうなったのか、どれほどの規模だったのかの具体的な説明はなかった。
マーシャル元師が特任として、終戦直後来華し、国共両党を妥協させて、中国を近代的民主国家として統一し、その上に経済援助を与え、軍事的に指導して民生を安定し、赤化を防止しようとする努力は真剣に行われた。しかし、この人道的調停は残念ながら国共両党からは喜んで迎えられなかった。それには、中国革命の本質から来る深い理由があった。辛亥革命を近代的民主革命と見たことが、誤算の第一であろう(中略)。満州八期に変わったものは国民党と軍である。中共は今や全中国を統一しようとしているが、果たしてマルクス主義を忠実に実行する社会革命であろうか。それを決定するものは、中国人自身であり、それを判定するには、今後の事実を見なければならぬ。(中略)日本が8年間の占領政策で失敗した第一の原因は、中国民族の心理を理解せず、道義が低下して民衆の恨みを買い、しかも飢餓と混乱等を救う実力の不足にあった。(本文より抜粋)
マーシャル元帥が国共の調停に1年の努力を傾倒したが、実を結ばないで南京を引き揚げる時、公然と天下に公表したことは、国民党内部の腐敗と頑冥度しがたいことであった。続いて来華したウェデマイヤー将軍もまた最後の茶会で小主席以下、政党軍首脳部の面前で、政治の範囲を暴露した。共産党を養うものは国民党であるとまで通論した。(中略)中国の百姓ほど虐げられた人間は世界に稀であり、中国の大地ほど搾取された土地もまた世界に稀であろう。(中略)土地資源に比して、人間が多すぎ、人間の労働力を吸収すべき工業が発達しないので、生まれた人間はお互いに食うためにせめ合う。そこに無理があると言われる。(p-269)
孫文の革命理論の最も重要な点は民生主義であり、その中心をなすものは地権平均であるが、「耕者有其田」の理想を実現していたならば、中共に対してこんなにもろく敗れなかったであろうが、国民党は元老から小役人に至るまで、地主となりあるいは地主と結託した。だから、土地問題に手をつけることは自分の刃で自らの咽喉をしめる結果となるので、竜頭蛇尾に終わった。中共が今日果敢にこれをやってるのは、彼らはまだ地主になっていないからとも見える。資源豊かな広い土地に規則正しく生活する外国人に、中国の政治を理解し得ない理由はここにあるのではなかろうか。(p-271)2025年2月
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