
著者が「源義経がチンギスハンである」と言う説について話している動画を過去にいくつか視聴していたが、そのことについて深掘りしたく書籍を手に取った。この説を世に広めた小谷部全一郎の『成吉思汗ハ源義経也』と言う本は大正末期から昭和にかけてベストセラーであり、著者がこの本で紹介していることの多くがその本を参考にしている。戦後GHQが課した日本人の「自虐史観」の中で、日本人がそんなに強くあっては困る、日本人に自信を持たせたくないと、意図的に忘れさせられた事実(物語)の一つであると著者は述べる。
西洋の美術史を専門とする著者は、チンギス・ハーンの肖像画と源義経の肖像画を比較し、ふたりが同一人物だと推測している。奥州藤原家に匿れていた義経は平泉の衣川館で死んだことになっているが、その証拠は不確かなもの(首が酒に漬けられ夏の暑い中46日後に鎌倉へ届けられ検分された)で、その時、またはそれ以前に東北から北海道へ向けて出発し、後に大陸に渡ったと述べている。そのルートには、義経にまつわる地名や建物の名前があるそうだ。テムジン(天神は、菅原の道真に重ね合わせたものと述べ、テムジンの性格に日本人らしい特性が垣間見えると言う。気前が良く、器が大きいためにテムジンのもとに優秀な人材が集まり、そして勢力を拡大していったと述べる。また、モンゴル軍の戦い方が、かつて義経が取った戦闘方法・策略によく似ていることを挙げ、証拠としていくつかの戦い方を例に出している。さらに、源義経の家紋である。笹リンドウとよく似たマークがモンゴルに残っているのも、この説を裏付ける1つのポイントである。
本書を読むと、この本にかなりの説得力があるように思われるが、自分としてこれから1つ確認をしたい事は、もしもジンギス・ハーンがアジアを征服しそのDNAを広げたのであれば、それは日本人のDNAと似ているのではないかと言う点である。しかしながら、以前に最新のDNAの解析結果を何かで見たとき、そのようではなかったと記憶している。
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