この書籍は、GHQと共に来日し、その下で勤務することになった著者によって、1948年に書かれたものである。彼女は、当時の世界情勢とアメリカの社会、欧米列強が、日本や中国、そしてアジア諸国に対して行ってきたことと比較しながら、冷静な目と公正な判断力で、これから占領政策を開始しようとする日本に対して行おうとしていることの欺瞞や矛盾について、反論のしようのないデータと記録であぶり出している。読み進める中で気になる記述があるたびに、ここに書き残しておきたいと付箋を付けてきたのだが、あまりにその数が多いので書き出す気にもなれない。
著者がGHQでどのような業務をしていたかが読めると期待していたが、書き出し部分を除いて全然そうではなかった。アメリカがペリー提督を日本に遣わせて以来、鎖国している日本をこじ開けてアメリカの都合のいいように扱ってきた歴史から紐解いている。朝鮮戦争が始まる以前の、そして蒋介石が台湾へ逃げる前に記された書籍である。当時の世界の情勢について、著者は冷ややかな目で分析を行っていて、それが大変公平なポジションで述べられているため、「日本が悪い」の一辺倒の教育をされてきた自分としては「目からうろこ」であった。
ペリーによって開国した日本は、早く一人前になりたいと先を行く西洋諸国から一生懸命学んで、一流になるための態度、考え、ふるまい、自国の修め方を自分のものにしていった。そして、その延長線上で、結果的に米英や西欧諸国と利権を争う(日本としては争う気はなく、たまたま利害が相反した)結果となってしまった。諸外国に見下されていた日本は、日清戦争に勝つことで高校を卒業したと認められ、日露戦争に勝利することで大学を卒業し一人前と認められるようになった。そして社会人としてふるまい始めると、「お前生意気だ」と中国での活動をコテンパンにののしられる。先輩たちのやっていることを真似してやっただけなのに、なぜここまでいじめられるのか。先輩たちも東南アジアで同じことをやっているではないか。ロシアの南下、共産党の侵略を阻止したいがゆえに中国で活動していたにもかかわらず、その本質を理解してもらえず満州を植民地化したと非難され、蒋介石率いる反対勢力に応援を惜しみなくされたがために、最終的に日本は負けてしまった。
この本を読んで思ったのは、歴史の教科書を書き換えるべきだということだ。War Guild Information Program (WGIP) から一刻も早く脱出し、本来の日本を取り戻してほしい。そのために今、自分は何が出来るのだろう。
「なぜ日本は我々を攻撃したか」について考えるなら、「なぜわれわれは、すでに日本との戦争を始めていたか」について考えなければならない(p-38)。日本人が天皇を尊敬するのは、天皇が超自然的、超人間的存在であるからではない。長い歴史と伝統文化の表象としての制度を崇拝しているからである。日本の天皇は、アメリカの星条旗、あるいはアンクル・サムのようなシンボルなのだ(p-174)。私たちは日本人に国家神道を廃棄させた。しかし、国家神道は西洋型国家意識の日本版に過ぎない。国家神道は、1868年、西洋の「指導」に応えて出てきたものだ。近代以前の日本では、神道は自然と祖先に対する信仰であり、習俗であった。軍事的なもの、国家的なものの対極にあるものだった。日本の外交は徹底して平和主義だった。(中略)私たちは「満州事変」、日本の汎アジア政策、共栄圏構想を非難して来た。(中略)私たちは「白人の帝国主義的支配から有色植民地住民を解放する」という日本人の「神聖なる使命」を偽善と決めつけた(p-180)。私たちが改革しようとしている日本は、私たちが最初の教育と改革で作り出した日本なのだ(p-181)。
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